差別意識は続く
昨年末から週に二回就労を目指す人の訓練所の様な所に行っている。
(検索避けの為に正式名称は伏せる)
来ている方々はとても障害者手帳を取得している様には一見思えない方や、あっなるほど……と言う方まで様々だ。
そこでの私の振る舞いは友人を作ろうとする気概もなくただ淡々と自身で作った応募書類を確認して貰う為に作業をしたり、面談を受けたりするだけの日々で正直大分しんどい。
当初はここに慣れる事=再就職する為のステップと紐付けていたが、どうやらそうでも無いのではと思うようになってきた。
雇用されている時点で最低限の社会人マナーやスキルは持ち合わせている訳で、職場の「模擬」にしては大分「密林」なのではと感じている。
とにかく「あっなるほど……」の方達は感情のコントロールが出来ておらず就労~のスタッフさんに甘えており、それが障害なのだろうがその方達が面接に行く様な話を耳にすると、
「はっ働けるのか……?一緒に働く人大変やろな……」と心の声が喉元まで出そうになってしまう。
そんな場面を目にする度に健常者と精神障害のグレーゾーンが存在するように知的障害と精神障害のグレーゾーンもある様に思い辛い気持ち(自身の最低な差別意識に気付かされる為)になる。
私があの人じゃなくて良かったと思うように、私も誰かにそう思われているだろう。
その誰かにとって私は厄介な障害者なのだろうか。
あいつと一緒にするなという気持ちを持ち合わせたままに再就職が上手く行くだろうか。
こんな不届き者にも安寧の生活が訪れる様、都合の良い祈りを今は捧げる事しか出来ない。
真説・他人事とは思えない
久々にTwitterの規定文字数を越えるような徒然を書き残しておきたいなと思いはてなブログを開いてみた。
最後の更新が二年前になっていた様で、時期をほんのり逆算するとどんな内容だか粗方予測が出来るだけに末恐ろしくて凝視出来なかったのだが、
当時好きだった派遣先の上司の事を「精子が濃そうだな……」と表現していた事は目に入ってしまった。
奇しくも(?)今推してる芸人も精子が濃そうな風貌をしているので、流行は繰り返すという事はまさにこれやなと勝手に納得している。
取り敢えず手動で一つの記事以外は全て下書きに押し込み体裁を整えたつもりでタイトルも一新した。
この空白の二年間の途中経過の総意であり、
他山の石、人の振り見て我が振り直せの様な説教臭さというよりは、あらゆる世の中の出来事がパラレルワールド、あいつは俺と思えたら自分にも他人にも優しくなれるんじゃないかとの事です。
勿論「そうありたい」願望を込めてなので、
心の不摂生をお見受けしても大目に見てやってください。
では居場所の再稼働を始めます。
風邪引いて無ければ行ってたのですが
2009年の12月26日、渋谷の西村フルーツパーラーで今はもう疎遠になった高校時代の友人と話していた。
「……志村さん死んじゃったよね……」
「あぁ……Yahoo!ニュースで観たかも。びっくりしたよ。イエモンのアルバム買ってたからさ。久しぶりに聴いた矢先に」
「私好きだったんだよね、ライブ行ってたし」
「えっそうだったの、昔ちょっとだけ聴いてたけどな、ライブは行った事無かったわ」
その話題を切り出したのは友人の方からだった。
たまたま「桜の季節」のCMを観て目デカい人が何か暗い感じの曲唄ってるな~って思った日から、
赤富士通信なる今やヤフオクで法外な値段で釣り上がっているフリーペーパーを集めたり、
2ちゃんねるのフジファブリックスレッドに入り浸り、当時千原ジュニアのファンだった私は自己主張が過ぎたあまりに、スレッドが終焉を迎える頃に
「今だから言うけどジュニアヲタうざかった、私が私がって」と言われる等、
バンドに対しての貢献度が皆無に近いファン活動をしていたのだが、
それも「虹」がリリースされた後ぐらいから私の中では緩やかにその灯火は消えて行った。
それから2年後、NHKで放送された京都音博を観てフジファブリックの活動を知る事になりライブに行き始める事になるのだが、そこから先の話はまぁ長くなるので割愛させていただく。
彼が亡くなってからのフジファブリックを聴いていない人、聴いてても何かちゃうわー!ってなってる人沢山いると思う。
そう言った考えの人といつからか話さなくなったりして、時には腹正しい気持ちになってTwitterに怒りをぶつけた事もあった。
そんな私ももうあの当時の様な熱量はもうない。
あれだけ総君総君(山内総一郎)言ってた私も、2000円越え?たけーな……手渡しか……でも金無いし………と写真集?(ほらもうなんだかも分かってない)すら買わないと言う。
そうやって私も元の「生活」に戻って行った訳なんだけど、
もうどうにでもなれよ!と自暴自棄になったり、これから先の人生に漠然とした不安を抱いたり、どうしようもない感情に始末がつけられない、そんな時に聴く声は今でも志村正彦と山内総一郎だ。
この素晴らしいバンドの礎を造った志村正彦もそれを人生を懸けて継承した山内総一郎も偉大だ。
(あっ加藤さんとダイちゃんもね)
まぁ意地が悪いからこんな時期に死んじまった訳なんだけど、
一年に一度くらいはね、ほじくりかえして見つめ直してもいいんじゃないかなって。
色々あるかもしれないけど、ここからの景色は素晴らしいってこと。