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トーキョー・アイアン・メイデン

魔物が蔓延るMAD CITYに生息するにも関わらず三十路で処女の日常

ここ3ヶ月ぐらいで転職・失恋・引っ越し・インフル・母親としっくり行ってない(多分この先も変わらないだろう)事で人生が目まぐるしく、
もう今生では私のヴィーナスの花を濡らすような男が現れるとは到底思えないような、曹洞宗の駆け出しの坊さんの様な質素清貧な生活をしていた。

上記ゴタゴタで副業でセコセコ稼ぐ事も出来ず多分人生で一番キングボンビーなんだけど、
(最低限の日々の食費と雑費はあるが、自身の自由な金がない)あんまTwitterでマネーマネー言うても嫌じゃないですか、でもこれが事実だから仕方ない。ここまで出来ない事が多いと欲求も不思議と消えますね。徐々に立て直せそうなのであと10日ぐらい待つしかない。待つの。

私はのんきDEひょうきんな性格なので、
31歳で自分の置かれてる状況の異常性には気が付かなかった。
私は社会人になってから自分で稼いだお金を手に取った事が殆どない(正社員の時最初の2ヶ月くらいは手渡しだったからそれ以外)んですよ?
私がお金の管理が出来ないからと言う理由で母親に任せてたの悪いんですけどね、
母親が出来てると思ったら出来てなかったんだな~!本当に出来る人だったら、私が管理出来るように教えてくれるもんね。それに気付くのに互いに時間掛かったねぇ。
母親が私の金をギャンブルとか私利私欲の為に使い込んだ訳ではなく、(結果エゴではあるが)明確な理由は多分この先奇跡的に結婚出来たとしてもその相手にすら言わないっすね。これは説明しようがないもん。私も同意の上でしたし(よく分かってなかったけど)
取り敢えずちゃんと真ん中を持ってくれる人に救い上げられてるのでなんとかなってます。
本当に一人で生きていくであろう準備をだな。

父親がおらず、祖母近辺の人間関係もまぁややこしくて母親がいっぱいいっぱいの私血の繋がりで頼れる人がいないので、今ちゃんと生きないとマズイよ!ってケツを叩かれてるんだろうなと思う。

多分ライブも遠征も暫く消えますが、
こんな奴いたなーってたまに思い出してくれ。
東京で私は生きるよ。

意味を持たせず

後任者の引き継ぎで匿名で承認欲求を充たす余裕もなく、blogを放置している間に31歳になった。


特に何もなく今日も祖父の命日に悠々自適にペリカンのパンがメニューにあるカフェで一人過ごす。

エビ中のりななんが亡くなったこと、分からないけど分かる。

志村君の時だってそうだった(んだろうな)

ご挨拶

あけましておめでとうございます。

筆マメを通り越してSNS上でもマメさに欠けるので本年の挨拶をここで済ませてしまうことを御容赦ください。
本年も宜しくお願いします。


一人暮らしを始めて色々な制約(神様は何も禁止なんかしてない)が無くなったことで、SMAPの代わりに朝日を観に…



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夜遊び経験が年齢に伴ってない(終電過ぎて帰宅した事が人生で二回しかない)ので、早朝に電車乗るのも冒険で楽しかった。
親が厳しかったとか全く無いんですけどね。


なんでここで日の出を観たいと思ったんだろうなぁ…好きな人が何処かで観てるかもしれないと思って来たのはまぁ正解。
どんなに綺麗な朝焼けを観ても何の解決にもならないけど、久々に食べた朝マックは美味しかった。


今まで一人でしてきたことを大切に思う誰かと二人でしたいなぁ

名古屋駅も名駅と呼んでいる

風邪の具合も回復しつつあるので、年内に行きたかった所に


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「街」にも相性があると信じているのだが、食の相性が良いのは福岡と名古屋だと信じている。

福岡の食レベルが高いのは周知の事実だけど、

名古屋の場合好き嫌い分かれそうじゃない、
赤味噌文化を受け入れているのもあって全面的に肯定してるんだけど…

そういえば福岡は父親の故郷で、名古屋も昔父親が住んでいて最後に会った場所だったからってのは関係無い、多分。


コメダは特別に安価じゃないのにやたら行きたがる自分がいる。

本当はこんぱるも東京に進出してくれればいいんだけど…

新年会是非コメダでやらせてください(一回だけでいいから!ねっ?ねっ?)


人恋しいので商店街をぷらついたけど、

年々寒さが堪えてきて本気で老いを感じて来ている。

内臓まで冷えて食欲不振、養命酒に手を出しそうな勢い。

歩いていると好きな人のことが頭にチラついて悲しくなるけど、好きな人のことが恋しいのか、好きな人を思うことが恋しいのか、大事MANブラザーズBAND状態になるので良くない。


支払いをしたら財布の中身が寂しくなったのでチューハイ買って家で飲もうと思う。

メカラ・ウロコ27

三十路にもなって社会性が0なので、ケータリングのビュッフェを時間ギリギリまで食い、高そうなどら焼を三つも貰った挙げ句、挨拶もそこそこに納会を抜け出してきた。
そりゃ契約も切られるわな。

自分で辞める決意をしてたのに、いざあちらからお前も必要ねーからなって言われた傷が深くもう一日でも早く燃やしてくれサンシャイン状態だが、まだ契約は二ヵ月以上残っている。

好きな人(なのかもう分からないのだが便宜上その様に表記させていただく)がどう思ってるのか、どうも思ってないことが粗方想像が付くので辛い。



そうして厄落としで向かったのが、
THE YELLOW MONKEYのメカラ・ウロコ27である。

メカラ・ウロコのコンセプトは簡単に言うとマニアックな曲唄いまっせなので、アルバムの楽曲の中で一回聴いてそうでもないな~って曲はバンバン飛ばして聴き込むタイプであり、

あの名盤、jaguar hard painをさらりと聴き流しているにわかイエモンファンの私としては、
チケットを取った段階でこれ殆ど知らない可能性あるな…と覚悟はしていた。

実際半分くらいはうっ…曲名知らねぇ…があってニコニコしてたのだが、

(てか皆イントロ流れただけでわー!ってなるの凄くない?一番ライブに行ってるフジファブリックですらイントロで分からないことよくあるんだけど…)

聖なる海とサンシャインのイントロ(イントロって言い方もだせぇ)が流れた瞬間、

「君は僕のことを忘れるだろう」を先読みして涙腺がかなり弛み、
「君は僕のことを忘れるだろう」のくだりで心の中で号泣した。

(泣きたかったのだが、妙に自制心が働いて泣けなかった)

本当に今の私は蜂の巣にされた魂の束をあげたいし、
燃やしてくれサンシャインそのものなのだが、
まだ派遣の契約は二ヵ月以上残っている。
(大事なことなので二回)


そこからのFOURSEASONS、ストリングス部隊登場後の真珠色の革命時代(Pearl Light Of Revolution)
でもうこれだけでよかね!と私の中の九州人が叫ぶ。


中二病と言う単語はいけすかないが、吉井和哉中二病を拗らせた最高に格好いいおじちゃんだった。
(でも私はきくちのエマおじちゃんが好きなんだが…)

来年は東京ドーム公演も決定し、解散前と集客力が衰えていないことに驚く。

にわかだから甘い経験!とドームで叫びたい。

素敵なおじちゃん達と私もその日まで元気で過ごせますように。


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厄除け大師

クリスマス前後に毎年具合が悪くなることが多いんだけども、今年も例のごとく風邪をひいてしまった。
検査をして貰った所、陰性だが炎症反応が酷くこれならインフルエンザの方がマシとまで言われてしまったが、
微熱が続きふらつく以外は喘息の症状も軽く症状は落ち着いている。

今年を総括するには少し早過ぎる気もするが、私としては早く年を明けさせて欲しい気持ちでいっぱいであり、

上半期に大方の予想通り年下の男子にフラれて、
下半期に三十路にして初めてキチンと相手と向き合い人を好きになれた「恋愛元年」だったはずなのだが、
相手の方が明後日の方向を向いていたら意味が無いんだな…と自身の実力不足も有りひっそりと優退する(優退と格好つけさせてくれ)ことにした。

仕事の契約更新が無くなった今労働意欲がマイナス10000ぐらいなのだが、ズル休みではないので2日も休んでズル休みと思われるのではないかとビクビクしている。

あと何日かで今年も終わるからどうか元気でお気をつけてと回復すれば雪が降る町を唄いにカラオケ納めに行きたい。

風邪引いて無ければ行ってたのですが

2009年の12月26日、渋谷の西村フルーツパーラーで今はもう疎遠になった高校時代の友人と話していた。


「……志村さん死んじゃったよね……」


「あぁ……Yahoo!ニュースで観たかも。びっくりしたよ。イエモンのアルバム買ってたからさ。久しぶりに聴いた矢先に」

「私好きだったんだよね、ライブ行ってたし」

「えっそうだったの、昔ちょっとだけ聴いてたけどな、ライブは行った事無かったわ」


その話題を切り出したのは友人の方からだった。


たまたま「桜の季節」のCMを観て目デカい人が何か暗い感じの曲唄ってるな~って思った日から、
富士通信なる今やヤフオクで法外な値段で釣り上がっているフリーペーパーを集めたり、

2ちゃんねるフジファブリックスレッドに入り浸り、当時千原ジュニアのファンだった私は自己主張が過ぎたあまりに、スレッドが終焉を迎える頃に
「今だから言うけどジュニアヲタうざかった、私が私がって」と言われる等、
バンドに対しての貢献度が皆無に近いファン活動をしていたのだが、
それも「虹」がリリースされた後ぐらいから私の中では緩やかにその灯火は消えて行った。


それから2年後、NHKで放送された京都音博を観てフジファブリックの活動を知る事になりライブに行き始める事になるのだが、そこから先の話はまぁ長くなるので割愛させていただく。


彼が亡くなってからのフジファブリックを聴いていない人、聴いてても何かちゃうわー!ってなってる人沢山いると思う。

そう言った考えの人といつからか話さなくなったりして、時には腹正しい気持ちになってTwitterに怒りをぶつけた事もあった。

そんな私ももうあの当時の様な熱量はもうない。
あれだけ総君総君(山内総一郎)言ってた私も、2000円越え?たけーな……手渡しか……でも金無いし………と写真集?(ほらもうなんだかも分かってない)すら買わないと言う。

そうやって私も元の「生活」に戻って行った訳なんだけど、
もうどうにでもなれよ!と自暴自棄になったり、これから先の人生に漠然とした不安を抱いたり、どうしようもない感情に始末がつけられない、そんな時に聴く声は今でも志村正彦と山内総一郎だ。

この素晴らしいバンドの礎を造った志村正彦もそれを人生を懸けて継承した山内総一郎も偉大だ。
(あっ加藤さんとダイちゃんもね)

まぁ意地が悪いからこんな時期に死んじまった訳なんだけど、

一年に一度くらいはね、ほじくりかえして見つめ直してもいいんじゃないかなって。




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色々あるかもしれないけど、ここからの景色は素晴らしいってこと。